「新しい」とはなにか。
#1 「新しい」の舟を編む。

符号する必然。

2005年。スティーブ・ジョブスがスタンフォード大学の卒業式において後に伝説となるスピーチに臨んだ時、最後の言葉として選んだのが「Stay hungry. Stay foolish.」でした。眼前に並んだ前途有望な若者達と、それを映像や文章で目にした世界中の人々に強い印象を与え、心に火をつけました。
その30年前である1974年。1960年代後半のアメリカで誕生し、当時の若者達に大きな影響を及ぼした『Whole Earth Catalog』が最終号を発刊しました。巻末に掲載された最後のメッセージは「Stay hungry. Stay foolish.」。カタログを手にしていたのは、当時まだスタンフォード大学の学生であったスティーブ・ジョブスです。彼の心の中に刻まれたその言葉が、Apple創設の原動力となったことはあまりに有名です。しかしなぜ、30年を経てジョブズが語った“古い言葉”は、“新しい力”を持つ存在になりえたのでしょうか。

2008年。今なお、国籍も存在も個人なのかチームなのかさえ不明であるサトシ・ナカモトが、ビットコインという仮想通貨に関する論文をとあるメーリングリストに発表し始めました。この論文の基礎をなしたのは、ブロックチェーンというデジタル台帳をベースにした概念。ここから、静かに、しかし革新的に、サトシ・ナカモトは、中央集権型のネットワークに「新しい」仕組みを構築し始めることになります。
遡ること25年。1983年、カナダのエンジニアであったマイケル・リントンが考案したLETSという地域通貨が産声をあげます。「記帳式」という手法が導入され、1800年代初頭に作り出された地域通貨の概念が革新された瞬間でした。地域通貨はその後、世界の様々な地域で導入されることになります。しかし、このLETSの仕組みと、ブロックチェーンの概念が酷似している事実を多くの人が知りません。なぜ、“古い概念”と“新しい概念”がこのようにバトンを渡しながら世界を革新する可能性を手にできるのでしょうか。

2012年。ジェフリー・ヒントン率いるトロント大学の研究チームが、2006年に彼自身が作り出したディープラーニングの手法により、AIの劇的な進歩を実現させます。世界が驚愕した成果でした。以後、ロボットとAIの開発は急速に進化し、世界の未来予想図を全く新しいものに書き換えつつあります。
1963年。日本の漫画界を席巻しつつあった手塚治虫が、少年型ロボットを描きました。漫画の中で登場する天馬博士が、息子であるトビオを交通事故で亡くした悲しみのあまり、ロボットとして復活させようと試みた結果誕生しました。しかし、“アトム”と名付けられたそのロボットは「心が成長しなかった」ため、絶望した天馬博士の手でサーカス団に売られます。アトムが“心”を手に入れるのはそのずっと後。お茶の水博士との真の邂逅を経て、自我に目覚めることになります。AIの存在を劇的に進化させるという一点において、この漫画に描かれたお茶の水博士と、ジェフリー・ヒントンの存在は奇妙に符号するように思えます。むろん、現在のロボットやAIは、鉄腕アトムが生まれるずっと前の段階でしかないのかもしれません。それでも私たちは“古い物語”の中に“新しい技術”の種を見いだすことができます。

叡智のプール。

「新しい」とは一体なんでしょうか。少なくとも2つのケースにおいて、私たちは「新しい」を感じると説明できます。1つは、蓄積された人類の英知と、現代の技術とをコネクトさせた時に起こるものです。著名なSF作家であるアーサー・C・クラークの発言に「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」という有名な言葉があります。過去に人類が夢見て魔法のように考えたことでも、現代技術が達成したものは無数にあります。たとえば今私たちが手紙をNYに住む友人に届けようとしたら、24時間ほどの時間を要します。インターネットを使えば1秒です。この、魔法のような技術を私たちが日常的に使えるような環境が目の前に揃う時「新しい」を感じることがあります。

もう1つは、私たち自身が「未知」に出会った時に起こるものです。たとえばこれは、いつもの帰り道とは違うルートを選ぶことで得られる感覚や、知らなかったアプリを誰かに薦められ便利さや感動を知った時に起こる感覚です。歴史的に言えば大航海時代、ヨーロッパの人々にとって海の向こうは未知の世界でした。新しい大陸を発見した時の興奮は凄まじいものだったでしょう。しかし、その大陸で生活してきた人々にとっては、何百年にもわたって続いてきた日常の世界にすぎません。私たちにとっての「未知」は誰かにとって「既知」であることはめずらしくありません。
ジャック・デリダという哲学者は、日々同じ行動を繰り返し成立する日常を、適切に配達される郵便システムに例えました。朝顔を洗う、通勤する、仕事する、飲みに行く、といった日常が、ちゃんと郵便が届く仕組みと似ていると説いたのです。郵便論と呼ばれるこの概念によれば、あまりに郵便的な社会は変化がなくなり硬直化するため、社会には意図的な「誤配」が必要になると説きます。海の向こうからやってくる人も、他人から勧められるアプリもコンテンツもいわば“未知”が“誤配”です。こうした「誤配」が起こると、私たちはそこに「新しい」を感じることがあります。

社会は常に進化し続けています。それは、人がより安全に、安心に、便利に、快適に、社会を構築することを望み続けているからでもあります。社会を風船にたとえるなら、外側の薄い皮膜が現在です。過去は一方的に膨張し、現在は表面積を増していきます。私たちは、この表面に生きています。生物の進化は環境に強く影響を受けるというダーウィンの理論に基づくのであれば、「新しい」が常にやってくる環境に生き続けている私たち人間は=「新しい」を求め続ける生物である、としてもきっと過言ではないのです。

舟を編む。

『舟を編む』は、小説家 三浦しおん作のベストセラーです。松田龍平主演の映画にもなったことから、その作品をご存知の方も多いでしょう。辞書を編纂するチームを描いた物語です。うだつの上がらない編集マンである主人公に、辞書を編纂する高い適性があることがわかり、そこから物語が展開されていきます。序盤で、この編集マンの適性を測るときにある質問が出されます。それが「“右”を説明してください」というもの。主人公は、「西を向いた時の北の方角」という見事な答えを瞬時に示し高い適性を認められます。

私達が日常的に使用している言葉は、ずばりその言葉が示すものを表しています。しかし、ゆえに普段私達はその言葉が意味することについて深く考えることはありません。「“右”を説明してください」といった問いかけをあらゆる言葉で実践してみると、あまりの困難さに愕然とします。「空気とはなにか」「呼吸とはなにか」「社会とはなにか」「仕事とはなにか」。

すでに説明してきたように、「新しいとはなにか」これが当メディアの根源的なテーマであり、第一回目の特集のテーマでもあります。おそらく、「新しい」を知ることとは、人間を知ることであり、社会やそれを取り巻く世界のすべてを知るという広大な試みなのだと思います。私たちが「新しいとはなにか」という問いかけに対し、見事な適性を認められるような返答ができるかはわかりません。それでも、この「新しい」という言葉が持つ大海原を渡る舟を編み、誤配を楽しみながら、未知の世界へと歩みを進めてまいります。

目次
  1. #1 「新しい」とはなにか。
    「新しい」の舟を編む。
  2. #2 「新しい」とはなにか。
    「新しい」に求められる意識。
  3. #3 「新しい」とはなにか。
    「新しい」のエッセンス。