起動のスイッチは、どこにあるのか。

松永真理
松永真理事務所代表

明治大学出身。1977年にリクルート入社。編集職を経て、「就職ジャーナル」「とらばーゆ」「ワークス」の編集長を歴任。1997年にNTTドコモ入社。ゲートウェイビジネス部企画室長に就任し、iモードの企画開発を手がける。2000年に個人事務所を設立し独立。現在はセイコーエプソン、ブレインズネットワークなどの社外取締役を務める。

技術革新の目撃者

今回はお忙しい中お時間をいただきありがとうございます。まずお聞きしたいのは、お二人のつながりです。どのようなヒストリーをお持ちなのでしょうか。

池田:松永真理さんと言えばiモードの生みの親ですから、NECにいた当時の私からすると雲の上の存在でした。i-modeが始まった後、私が中国でNECと現地会社との合弁会社を立ち上げる際に、北京でチャイナモバイルの幹部や日本のコンテンツプロバイダーを集めたシンポジウムを企画しましたが、その際に松永さんに講演をお願いさせていただきました。

松永:2000年頃に北京で講演したことはよく覚えています。今思えばそこが池田さんとの出会いになるんですね。

池田: NECを退職して、会社を立ち上げてからも松永さんのチームで働いていた人達と色々ご縁があって、今でも当社の顧問をやってもらったりしています。 そんなご縁もあって、昨年末の当社の社員総会でゲストとして改めてご講演いただきました。

松永:それをお聞きした時は、驚きました。知らず知らずのうちに色んな所でつながりが生まれていたのですね。

携帯電話が今の形や役割を見つける前から携わってきたお二人は、5Gの存在や社会の変化をどのように捉えていますか。

松永:社員総会での講演依頼を頂いたことを機に、5Gの話を聞きにドコモに行きました。そこで改めて振り返ってみたら、携帯電話はしっかり10年サイクルで世代交代しているんですね。私は1Gと言われたショルダーフォンの時代から、2G、3G、4Gと事業の立ち上げ・立ち替わりに濃密に関わってきましたが、このようなことは滅多にない経験です。池田さんも、時代の移り変わりを随分と間近で目撃してきたのではないですか。

池田:そうですね。私はパーソナルコンピュータの代名詞となったPC-9800シリーズ、俗にいう98(きゅうはち)がNECから発売された年に、NECに入社しました。パソコンが進化をしてインターネットと繋がり、携帯が生まれ、スマートフォンに変わって行く、これだけ短い間に進化を遂げるのを目撃できたのは、運が良かったと思います。

『話す』→『使う』携帯電話の誕生

池田:いつの時代も、まず技術があってそれを普及させるための仕掛けが重要になります。iモードはまさに2Gから3Gへの起爆剤で、松永さんは携帯電話の当たり前の形に変化をもたらされました。4Gにおいてはその役割を担ったのがスマホだったのかもしれませんが、5Gはまだわかりません。私は、またそこに参戦できる立場にいるので、再度挑戦していきたいと思っています。

松永:iモードの時、アナログ電話を巻き取って「話すケータイから、使うケータイへ」一気に持っていけたのは、本当にエキサイティングな経験でした。産業が壁を超えて溶けていくような感じだったんです。5Gでもそういうことが起こるんじゃないかと、ワクワクしています。

池田:そうですね。4Gの時点で携帯電話はある程度進化を遂げているので、5Gは携帯電話というより「通信」そのもののあり方を変える方に働くのではないかと思います。AI翻訳機の「POCKETALK」のような通信機能を持った新しいデバイスも、すごい勢いで増えるのではないでしょうか。

松永さんはiモードを開発する時、どこにモチベーションを感じていましたか。

松永: 1996年から携帯電話は毎年1,000万台ずつ増えていきました。しかし、まだ誰も携帯電話を電話以外の用途で使っていなかったこともあり、正直こうしたいという未来が見えていたわけではないんです。先に変化を求められていた状況があって、私たちは何がキラーコンテンツになるのかを必死に探していました。

だからこそ、iモードによって道が開かれた時はとても嬉しかったです。その時のことを当時のプロジェクトリーダーである榎啓一さんに「どんな感覚でした?」と聞いたら、「コロンブスの新大陸発見。あることはわかっているが、どこにあるのか、どんな形をしているのか誰もわからなかったものを見つけた気分。見つけた瞬間、そこに人がバーっと集まっていった感じです。」と仰っていました。私自身も、新しいところを切り開くということはこんなに面白いんだと思いました。

今はその5回目のチャンスが来ているのではないでしょうか。あらゆる企業が5Gによってどんな未来をつくるのか、模索しているところなんじゃないかと思います。

池田:そうですね。まだ見えていないことも多いですが、夢のような話ではなく5Gもひとつの通過点だと捉えています。通信があらゆるところで活かされて、人が気づかないところでも情報が集められ、分析され、便利になっていくという流れになるのだろうと考えています。

松永:人手不足や限界集落などの社会課題も、5Gによって改善される部分が大きいのではないでしょうか。iモードが生まれた時も、日常の暮らしの中に不便なことがあって、その解決の先に未来があったんです。私は独占されていた情報が解放されて、いろんな物事に人が民主的にアクセスできるようになったらいいなと考えていましたが、今の社会はそれに少しずつ近づいていると思います。

池田:あらゆるところに潜在需要がありますよね。そこに対して、新しく生まれたものが想像を超えた使われ方をして、問題を一気に解決することもあります。携帯電話は、まさにその可能性の塊でした。私は携帯電話と出会った時に、この手の中でなんでもできるんじゃないか、とにかく全てをこれと結びつけようと思いました。

リスクよりも優先すべきもの

お二人は新しいことを始める時のリスクについて、どのようにお考えですか。

松永:新しいことには常にリスクが伴います。だからといって、最初からそのリスクを埋めようとすると、新しいものは生まれません。なので、新規事業を立ち上げる時はネガティブなことを一切言わず、まずブレーンストーミングをおこないます。「脳(ブレーン)」と「嵐(ストーム)」という文字通り、頭の中で嵐のようにとにかく発想を広げるんです。そうして発想を広げた後でリスクについて整理し、ひとつひとつをクリアしていきます。

池田:私にとって大事なのは、何が面白いか、何が必要とされているかという、辿り着こうと目指している「目的の存在」です。問題はそこにどうやって行くかという手段の話になりますが、そこにはリスクもあるし困難な障害もあります。でも、新しいことを始める時はまず目的を考えるんです。リスクがどの程度あるのかよりも、目的を明確にする方が大事だと思っていますし、それによって手段も見えてくると思います。

松永:リクルートにいた時、「シーマン」という人面魚のような架空の生物に話しかけると答える、というゲームを開発した斎藤由多加さんに、滑舌の悪い人の声に対してシーマンがうまく反応できないという壁にぶつかった話を聞きました。どうやって解決したのかと聞くと「自然と、人間の方が子供に話しかけるようにゆっくり丁寧に話すようになった」と。「全てを完璧にしようとしたらものすごい労力だけど、変われる方が変わることでゴールに近づくこともある」と言っていて、問題を打開できる人はやはり考え方が違うなと思いました。

池田:それは面白いですね。人によって違う意見もあると思いますが、私は会社の経営も楽観的でなければできないと思います。基本はどうにかなると思っていなければ、道も開いていかないですし、実際にそういう経営者は多いと感じます。

「情報」についてはどのように集め、読み解いていますか。

松永:私は情報を集める時も、決して受け身で集めません。常に社会は変えられるという意識を持って、新聞を読む時も私の代わりに記者が取材に行ってくれているつもりで読んでいます。そうすると必ず、私ならここをもっと聞きたいと思う部分がでてくるので、それをまたネット等で調べます。

というのも、とある新聞社で紙面審議委員を2年間やったことがあるんです。そこでは、毎日6紙を読んでいたんですが、辞めてからは1紙を深く読もうと決めました。この記者はどういった視点でこの記事を書いたのだろうという視点で読むと、一面的だった情報が多面的になっていくんです。

あともう1つは、その分野の詳しい人に話を伺います。5Gのことで疑問に思ったら、私は古巣のドコモに聞きに行きましたし、オリンピックだったらあの人に聞こう、と常に流れてくる情報に疑問を持ち、自分より詳しい人に聞きます。そうすると、その人がどういう見方をするかもわかって、情報がどんどん立体的になっていくんです。

出会いによって、人は化ける

人と対する時や採用の際にも、何か気をつけていることはありますか。

松永:その人のフレキシビリティー、どれくらい柔軟性があるかということをよく見ています。なぜなら、年齢に関係なく考えが凝り固まっていると、発想が広がっていかないからです。この人はどういう視点を持っていて、どこを突くと他の面や新しさがでてくるのかというのを注意して見ていると、柔軟性のある人は自分の想像と違うことが起こっても、上手に対応しているんですね。

あと、私が常々口にしているのは「人は化ける」ということです。これは自分の経験談でもあります。社会人になるまでの私は、お勉強が嫌いで答えが既にあるものを学ぶことになんの意味があるんだろうと思いながら過ごしていました。それがリクルートに入った途端、ワクワクする日々に変わったんです。仕事って、答えのないものをつくっていくので自分に向いていたんですね。会社も私みたいな人間を面白がってくれて、PCが起動するように自分にスイッチが入ったのがわかりました。

私の人生はそこから始まったと言えます。それまで私はのほほんとしていたのですが、リクルートに入って起動したんです。なので、そういった出会いがいかに重要かもわかります。もし自分は起動していないと感じる人がいたら、それはまだ良い出会いが起こっていないということなんじゃないかと思います。

池田:私も22年間 NECに勤めましたが、80年代から2000年代にかけて起こったパソコンからインターネット、モバイルという新しい流れの中で、ソフトウェア開発からメディアやコンテンツまで様々な異業種の方々と恐らくNECの中で最も接触と出会いを持っていた一人だと思います。当時はまだ仕事における新しい出会いというのも今より貴重なものだったのかもしれませんね。

松永:そうですね。池田さんのような大企業で働いていた方が起業するのは、珍しかったのではないですか?

池田:その時、私自身はモバイルのコンテンツやサービスに途轍もない可能性を感じていて、こいつは将来凄いことになるなと思って仕事にのめり込んでいたんですが、当時のNECはそういったソフトの事業から手を引く方向になったので、それなら自分でやろうと思ったのが起業のきっかけです。

松永:そうなんですね。私は最初に入ったリクルートがものすごく肌に合っていたので、ドコモに行った時には大企業ってこんなに堅苦しいのかと正直思いました。でも、人は化けるということを経験していたので、やっぱりドコモでも目の色を変える社員達を沢山見てきましたし、その度に出会いが人を変えるんだなと、自分が惹かれる人やテーマと出会うと人生は本当に変わると思いましたね。

年末に参加させていただいたネオスさんの15周年社員総会も色々な社員さんが集まっていて、とても面白かったです。普通の会社であれば社長が1時間話すところを、池田さんよりも長い時間、社員の方によるパネルディスカッションをやられていて、この会社は面白いなと感じました。池田さんのお話もポイントが絞られていたので、とてもわかりやすかったです。

池田:ありがとうございます。「社員」総会ですから、なるべく社員の意見や個性を活かせるような企画を重視しています。

松永:今日この取材の場にいる社員の方も、服装が自由で個性があって素敵ですね。編集長をやっていた時にいろんな会社に行きましたが、やっぱり空気感でその会社の雰囲気はわかります。また、POCKETALKのことはもちろん知っていましたが、総会を通じてそうかここが作っているんだと改めて感じられたこともすごく嬉しかったです。やはり、情報においても技術においても、その裏には人がいて、それぞれの想いや背景を受け取ってみると、また違って見えるものですね。

この度はお忙しいところ、貴重なお話をありがとうございました

おわりに
技術の進歩と人々の暮らしが合わさり、電気・ガス・水道と同じように生活に欠かせない存在として発達を遂げたインターネット。お二人の対談からは、その歴史の裏で大勢の人々が影響を与え合っていたことがわかります。
そして、これから迎える5Gの幕開け。私たちは新しいその技術に、そして背景にある人の想いに、どれだけワクワクすることができるのでしょうか。 これから起こる全てのことが、誰かの起動するきっかけであることを信じ、私たちは「人」と「新しい」との出会いを繋いでいくことになるでしょう。